
こんにちは、文学部4年のN.Hです。
「出席点がない授業だけで時間割を組んだら最強なのでは?」
一度はそんなことを考えたことがある人、多いのではないだろうか。春学期、バイトも課外活動も忙しくなりそうで、かつ体調面でも不安があった時期。履修要項に「出席点なし」「評価:期末試験またはレポートのみ」と書いてある講義を見るたびに、「これは勝ちだ」と思っていた。
そんなわけで、「出席しないでも単位が取れる」授業だけで時間割を組んでみた。条件はシンプルで、授業へのリアルタイム出席不要、スライドや資料が配布される、評価はテストかレポート、Zoom出席やコメント提出などは一切ない。理論上、“誰とも話さず大学にも行かずに単位が取れる時間割”が完成した。
実際、物理的には問題なかった。オンデマンドの資料に目を通して、空いている時間に課題を進め、週末にレポートをまとめる。Zoomに一度も入ることなく、大学に一度も足を運ばずに学期を終えられる。“行かなくていい”という感覚は、最初の数週間は革命的ですらあった。
でも、じわじわと不安と違和感が積もってくる。
まず、講義資料の意味がまったく頭に入ってこない。スライドはある。でも、補足の説明がないと「どこが重要なのか」「どう解釈すべきなのか」がわからない。板書の情報や教員の雑談の中にヒントがあったことに、初めて気づく。
次に、“誰とも会わない”ということが、思っていた以上に堪える。LINEで「この授業、どう進めてる?」と聞ける相手がいない。グループ課題で初めてメンバーの名前を知り、Slackのアイコンで存在を認識する。大学に所属しているはずなのに、どこにも所属していない感覚。
生活のリズムも乱れる。「オンデマンドだから、好きなときにできる」は、「いつまでもやらない」に変わる。スライドを後回しにし続け、気づけば週をまたぎ、気づけばレポート提出日前夜。締切ギリギリで内容の浅いものを提出し、評価は低空飛行。自由度の高い履修は、自己管理力のなさを容赦なくあぶり出してくる。
一方で、「出席がある授業も入れておいた」という人たちの話を聞くと、やっぱり納得する。
週に1回でもキャンパスに行く予定があると、生活がある程度保たれる。午前中に講義があるだけで、午後の活動にもスムーズに入れる。たとえ内容に関係のない世間話でも、隣の席の誰かと交わすひと言が、自分の「学生感」をつなぎとめてくれていた。
出席がない授業は、確かに“自由”ではある。でも、だからこそ失うものも多い。評価基準が見えない。教授の温度感がわからない。履修者同士のつながりが生まれない。そして、最後には「大学に来ていなかった自分だけが、何も受け取れなかった」感覚が残る。
履修を組むとき、「出席点があるかどうか」で授業を選ぶこと自体が間違っていたわけではない。ただ、“行かなくて済む”ことと“行かなくていい”ことの間には、確実な差がある。授業の内容だけでなく、学びの空気、仲間との情報共有、定期的にどこかに“通う”という習慣。それら全部が、実は大学生活の“体幹”だったのだ。
時間割の自由度が高いからこそ、バランスを取ることが大切になる。朝起きる理由になる授業をひとつ、友人と顔を合わせられる時間をひとつ、週に入れておくだけで、大学生活が安定するということを、やってみてようやく理解した。
「強制されるのは嫌だ」と思っていたはずが、強制されないことでどれだけ支えられていたかを痛感する。出席のある授業は、自分を縛っていたのではなく、むしろ支えてくれていたのかもしれない。
“出席点がある授業”が、やっぱり一番強い。そう感じたのは、講義の内容ではなく、そこに人がいたからだった。
