──笑えないけど、どこか愛おしい“朝の攻防戦”
早稲田大学の1限授業は、午前8時50分から始まる。
一見、ごく普通の時間設定に見えるが、実際のキャンパスライフにおいて、この1限は多くの学生にとって“最大の障壁”となっている。
今回は、「1限を巡る戦い」の実態を、体験談とともに紹介する。
その戦いは、寝坊と早起き、緊張と油断、自責と達成感の間で揺れ続ける、大学生活のリアルな縮図だった。
「1限」とは何か? 早稲田生にとっての“選ばれし時間”
午前8時50分から始まる早稲田大学の1限は、学生の自発的な選択というよりも、履修やカリキュラムの都合で半ば“押し込まれる”時間帯である。
多くの学生が片道1時間以上かけて通学しており、1限出席には、朝7時台の行動開始が求められる。
さらに、1限の授業が遠方の校舎や高層階に割り当てられているケースも多く、「間に合っているのに間に合わない」という矛盾も日常的に発生する。
学生たちの間では、1限を「選ばれし者だけが戦える場所」と称する声すらある。
【あるある編】1限がもたらす“予想外の悲劇”
「あと5分」から始まる全崩壊
目覚ましを止めたのは覚えている。スヌーズをかけた記憶もある。
だが、次に目が覚めたのは授業終了後だった。
「Zoomの画面には“ご参加ありがとうございました”の文字。パジャマ姿で、それを眺めていた自分がいた」
そう語るのは文化構想学部の学生。夢の中では出席していた、という“起きたときの敗北感”は計り知れない。
起きているのに、なぜか遅刻
服も着替えた。荷物も準備した。
それなのに、出発できない。時間は8時50分。場所は自宅。
「今から出ても間に合わないと気づくと、逆に動けなくなる」
この“予知型サボり”とも言える現象は、想像以上に多くの学生に共通していた。
1限→空きコマ→5限という拷問的時間割
「効率よく単位を取ろう」と思って組んだ時間割が、現実には拷問となる。
朝早くから登校し、昼は何もなく、夜に再び授業。疲労感と徒労感だけが残る1日。
「午前中に来た意味って何だったんだろう」と、学生たちは静かに問いかける。
【実録】“1限に負けた”早稲田生の悲劇
出席ミスが卒業に響く現実
「週1の1限くらいなら大丈夫」
そう思って履修した学生が、4回の寝坊で出席要件を満たせず、単位を落とすケースは珍しくない。
商学部の学生はこう振り返る。
「卒業要件に入っていたことが、4年の春に発覚して本気で青ざめた」
朝に異常な厳しさを持つ教授との遭遇
8時49分にZoomを開き、8時50分に授業開始。
1分でも遅れれば“欠席”。チャットでの申請も認められない。
「出席というより、試されている気がした」
学生たちの間では、“教授の朝型意識”に人生を左右されるという実感が共有されていた。
なぜそれを1限に?という疑問
“アートセラピー実践”では、冒頭5分が瞑想。
“映画文化論”は暗室+快適な椅子という最強の寝落ちコンボ。
“英語プレゼン”では、朝からネイティブの全力テンションについていけない学生が続出。
「1限ってだけで、すべての授業が高難度化する」
それが、多くの声に共通する感覚だった。
【一転】それでも1限には“光”があった
朝の映画鑑賞がもたらす静かな贅沢
文化系の授業で、毎回名作映画を鑑賞し、丁寧な解説を受ける――
それが1限にあるとは思えないほど贅沢な時間だった、という声もある。
「平日の朝に映画を観て泣くなんて、人生でなかなかない」
そう語る学生の表情には、満たされた記憶が刻まれていた。
先生のエネルギーが目を覚ます
「Good morniiiing, class!」
朝からテンション全開の語学系の教授に引っ張られて、強制的に目が覚めたという体験もある。
“眠気”を超える“勢い”を持つ教員の存在は、学生にとってまさに“太陽”のような存在だった。
朝活のリズムで生活が整った
早朝に授業を受け、学食で朝食をとり、図書館で学ぶ。
1限を軸に生活リズムを整えていたという学生は、想像以上に多い。
「1限のおかげで“学生生活やってる感”が持てた」
日々の自己肯定感は、そうした“地味な達成”から生まれていた。
【結論】1限は“大学生活の鍛錬場”だった
1限がつらいのは、誰もがわかっている。
それでも、多くの学生がそこに挑み、時に負け、時に勝ち、そして何よりも“記憶に残っている”。
「行きたくない」
「でも、行ってよかった」
その矛盾が、大学という時間の中では、確かに成立していた。
1限は、ただの時間割ではない。
“自分と向き合った場所”であり、“大学生活を形づくる舞台”だったのかもしれない。
最後に:早稲田生たちの朝の記憶を、そっと残しておきたい
寝坊して自己嫌悪に陥った日も
寝起きでZoomにログインした瞬間の顔も
8:48に駆け込んだ教室も
授業後に「頑張った」と感じた静かな達成感も
全部、確かに“早稲田の朝”だった。
今もなお、どこかの教室で、誰かが1限に向かって走っている。
その姿を思い浮かべながら、かつての自分にこう言いたい。
「1限、おつかれさま」
※「#1限廃止してくれ選手権」で、あなたの記憶を供養する投稿も募集中。
どんな経験も、誰かにとって“分かち合える物語”になるはずだ。