「え、どこ大?」
「早稲田? あ〜早慶のほうなんだ」
そう聞かれると、うれしいような、モヤっとするような。
こんにちは、文化構想学部3年のK.Sです。
今回は、早稲田生が意外と意識してしまう“もうひとつの存在”、慶應義塾大学について書いてみます。
早稲田とMARCHより、早稲田と慶應の方が「近くて遠い」関係
SNSでも、親戚の集まりでも、必ず並べて言われる「早慶」。
セットで扱われるわりに、文化もノリも、見られ方も、けっこう違う。
でも早稲田生って、慶應のこと、どう思ってるのか。
正直なところ、「負けてるとは思ってない。でも、何かと比べられるのは気になる」が本音じゃないでしょうか。
違いを感じる場面、いろいろある
・面接で「慶應の子の方が話し方スマートだった」と感じたとき
・ゼミで「教授がやたら慶應をライバル視してる」と感じたとき
・友達が「早稲田ってガヤガヤしてるけど、慶應は“育ち”って感じするよね」と言ったとき
あるいは、合コンの場で
「慶應? なんか清潔感ある〜」と言われて、なぜか笑ってスルーしたとき。
表立っては意識しない。でも、ふとした瞬間に「比べられてる」ことを思い出す。
でも、早稲田には“違う良さ”がある
・真面目なのにどこか雑
・プライド高いのに自虐もうまい
・孤高ぶってるのに、団結力ある
・育ちじゃなくて、努力でここに来た感じ
これが「らしさ」だと思ってるし、そこが好きでもある。
慶應にはない“泥臭さ”が、早稲田のアイデンティティ。
それは恥ずかしいことじゃなくて、むしろ誇るべき“人間味”なんじゃないかとさえ思う。
早稲田と慶應、「どっちが上?」の会話はもういい
偏差値で見るとほぼ並んでる。
就職実績も分野によってまちまち。
OBのつながりも、ネームバリューも、正直互角。
でも「どっちが上か」という会話の前に、それぞれの“在り方”がある。
慶應はブランドっぽい
早稲田はキャラクターっぽい
慶應は“信頼されたい”感じ
早稲田は“面白がられたい”感じ
この差って、数字には表れないけど、キャンパスに行けばすぐわかる。
「劣等感」じゃなくて、「対等な違和感」がある
本当は、慶應の人に「すごいね」って言われたらうれしい。
でも、同時にちょっとムッとする。
「なんで上から目線なん?」って思っちゃう。
逆にこっちが褒めるときも、どこかで“腹の中”で勝ち負けを測ってる。
たとえば、就活の内定先を聞いたあとに、ちょっと安心する、みたいな。
この感情は、たぶん“劣等感”じゃなくて、“同格でいたい”という欲から来てる。
結論
同じ舞台に立ってるからこそ、“線を引きたくなる”
「慶應と比べられるのは、疲れる」
「でも、無視できない存在でもある」
——その感情自体が、もう“対等な証拠”なのかもしれません。
どちらが優れているかではなく、どちらも“特別”だからこそ、違いが際立つ。
早稲田には早稲田の、慶應には慶應の“強さ”と“弱さ”がある。
そして、それを認めたうえで「自分は早稲田を選んでよかった」と言えることが、何より大事なのだと思います。
最後に
早稲田生は、“誇りとめんどくささ”を両方抱えている
自由を愛する
でも、ちゃんと努力してきた
群れない
けど仲間意識は強い
バカっぽく見せる
でも実は知識のかたまり
この矛盾を肯定できるのが、早稲田という大学の面白さであり、誇りでもあると思います。