──平和でカオス、そして少し切ない“早稲田の中心地”
大学生活を終えようとしている今、ふと思い出す場所がある。
それは、教室でも図書館でもなく、食堂やサークル棟でもない。
校門を抜けてすぐ、芝生の広がるあの空間。大隈重信の銅像が立つ、早稲田キャンパスの中心地だ。
一見、何の変哲もない広場だ。けれど、あの場所には、早稲田らしさが凝縮されているように思う。日々通り過ぎていた風景が、卒業を前にして記憶の中心に浮かび上がってくるのは、なぜなのだろうか。
芝生、銅像、そして人。常に何かが起きている“交差点”
この場所が印象に残る理由のひとつは、あまりにも多様な人と行動が交錯しているからだ。学生、教授、観光客、近所の子どもまでが行き交い、早稲田という空間の縮図のように雑多で豊かな風景が広がっている。
ある日、スーツ姿で電話をする就活生の横を、子どもたちが全力で鬼ごっこしながら走り抜けていった。別の日には、寝転んで休むサークルメンバーの背後で、留学生たちが写真撮影に興じていた。販売テントの中では、フランスパン1本を100円で売る学生たちの声が響いていた。
“大学とは何か”を定義するのは難しいが、「これも大学である」と言える景色が、あの広場にはいつもあった。
なぜ“カオス”が生まれるのか
この場所がときに「平和なカオス」と称されるのは、早稲田という大学の構造と密接に関係している。
学部や学年を問わず、多くの学生が必ず通るこの導線。休み時間や授業の合間には、数百人単位で人が集中する。その中で、イベント、サークルの勧誘、撮影、パフォーマンス、勉強、歓談と、あらゆる行動が同時並行で展開される。
空が広く、風が抜けるこの空間には、“なにかをしても許される雰囲気”が確かにある。誰かがパフォーマンスを始めれば、通行人が立ち止まり、いつしか観客が生まれる。その一方で、誰も振り返らないまま、黙々と日常を送る姿もある。
この“許容量”こそが、早稲田という場所の魅力なのかもしれない。
銅像の周りで起きていた、忘れがたい光景たち
この数年間、筆者が目にした印象的な場面をいくつか挙げてみたい。
- 石畳の上で全力で寝落ちしている学生。リュックを枕に、レジュメをブランケット代わりにして眠る姿は、どこか微笑ましく、そして切実だった。
- 観光客の撮影を手伝い、構図まで丁寧に指示する学生。写真の仕上がりを見て満足げに微笑む様子は、まるで大学の“顔”を務めているかのようだった。
- ダンスサークルの即興パフォーマンス。スピーカーが置かれ、気づけば人が集まり、本キャンが一瞬“ステージ”に変わる。
- 「卒論提出記念」と書かれた札を首から下げ、ウサ耳姿で踊る学生。なぜここで?と思うのに、なぜか感動してしまう、祝福の小さな儀式。
- 卒業式の帰り道、ガウン姿で銅像を見上げて涙をこぼす学生。撮影を終え、誰もいなくなった広場に立ち尽くすその姿は、静かに大学生活の終わりを告げていた。
いつも通り過ぎていたからこそ、思い出に残る
大隈像の前で何かをした記憶は、実はあまりない。むしろ、「いつもそこにいた」「毎日通っていた」という“繰り返し”の中に、思い出が静かに積み重なっている。
行事やイベントとは違い、特別な日ではない“日常”の中で刻まれた記憶は、時間が経ってからこそ、その重みを持って思い出される。
何もしていないようで、すべてが詰まっていた場所。
それが、大隈像のまわりなのだろう。
大学生活の“BGM”としての広場
大隈像のまわりは、言うなれば“大学生活の背景音”のような存在だった。
目立たず、誰もが気に留めず、それでも確かにそこにあった風景。
授業の合間に、待ち合わせに、ふと立ち止まるその時間が、大学生活を形づくる音楽のように、静かに流れていた。
最後に──あなたの“大隈像の記憶”は何ですか?
リュックを背負って通り過ぎた朝、
就活の帰りに深呼吸した夕暮れ、
サークル仲間と集合写真を撮った日、
ひとりぼっちだった午後。
あの空間には、誰かの生活が、確かに息づいていた。
大学を卒業した今でも、帰りたくなるのは教室ではなく、あの広場かもしれない。
そこには、日常のすべてが集まっていた。
銅像の前で立ち止まるたびに、あの頃の自分を、少しだけ思い出す。
それだけで、この場所はもう、思い出の真ん中にあるのだ。