
こんにちは、文学部4年のN.Hです。
早稲田にはいろんなタイプの人がいる。だけどときどき、「この人、なんか光ってるな……」と感じさせる人がいる。それも、普通の努力家とか目立ちたがりではない。もっと静かに、でも確実に何かに向かって動いている、そういう“意識高い人”たちだ。
気づくと彼らは、早朝のスタバにいて、3画面並べて作業をしている。Slackに「#人生設計」チャンネルがあったり、学内なのに名刺を持っていたり、履修登録と同時にLinkedInを始めていたりする。SNSのプロフィールには「戦コン志望」「グローバル人材」などの言葉が並び、週末には地方の学生イベントに登壇している。
もちろん、彼らのやっていることは本気だ。サークルも、プロジェクトも、インターンも、全部が自己満足で終わっていない。誰かのためになっていたり、自分を確実に前に進める力になっていたりする。話してみると、案外礼儀正しくて、肩書きに似合わないほど落ち着いていたりするから、不思議と嫌いになれない。
とはいえ、距離の取り方が難しいのも事実だ。「なんでそんなに頑張れるの?」「そのモチベーション、どこから来るの?」と純粋に驚く一方で、ちょっとだけ自分と比べてしまって、劣等感に近いものを感じる瞬間もある。
でも、それはきっと悪いことじゃない。他人の“意識の高さ”に刺激を受けるのは、自分のどこかに「変わりたい」という気持ちがあるからだ。
全部真似する必要なんてない。Slackで自己分析しなくてもいいし、スーツでLinkedInの写真を撮らなくてもいい。朝30分早く起きて、本を一章だけ読んでみるとか、今日のToDoをノートに書き出してみるとか、それだけで“意識高い気分”にはなれる。
そうやって、自分のために自分を整えていく。そのプロセスにちょっとでも前向きな気持ちが宿っていたら、それはもう立派な“意識の高さ”だ。
早稲田という場所は、その空気に寛容だ。突き抜けている人がいても、「まあ、ああいう人もいるよね」と受け止める余白がある。頑張る人にも、今は頑張らない人にも、同じだけの自由がある。
“意識高い”って、言い換えれば「未来の自分に期待している」ということかもしれない。今の自分を土台にして、少しでも先へ進もうとする気持ち。言葉にして、行動にして、まわりの人を巻き込んで形にしていく。それは時にまぶしく、時にうらやましく、でもやっぱりどこか、かっこいい。
あなたのまわりにも、きっとひとりはいると思う。「あの人、ちょっと意識高いな」と思ったその瞬間から、自分の中にも何かのスイッチが入りはじめているのかもしれない。