大学生活は、教室や図書館だけでは完結しない。
早稲田の学生たちは、ふと気がつけば決まった店の椅子に腰を下ろし、同じメニューを頼み、同じ景色を何度も見つめている。
今回は、いわゆる「グルメ記事」ではない。むしろ、“生活の記録”に近い。
「気がつけばまた来ていた」「この店にいると落ち着く」──そんな、“第二のリビング”のような存在となっている飲食店を紹介する。
そこには、味だけでは語れない、記憶と感情が染みついている。
テスト期間、サークル後、雨の日。理由はないけれど、通ってしまう
取材を通じて見えてきた共通点がある。
これらの店には、どれも「特別な理由がなくても自然と足が向く」空気がある。
たとえばカフェ・ド・クリエ高田馬場店は、授業終わりの“集合場所”として学生に親しまれている。Wi-Fiと電源が整っており、「勉強しに来た」という建前で、結局雑談して終わることもしばしば。店員に顔を覚えられ、「また来ましたね」と目で合図されることに、心地よさを感じている学生も多い。
いちご大福のあけぼの(高田馬場駅構内)は、帰り道に立ち寄る“通過点”のような存在だ。いちご、栗、大納言──時期によって選ぶ味が変わるその過程も、大学生活の記録と重なる。
味よりも、“そこで過ごした時間”が記憶に残る
定食屋や弁当屋にも、早稲田生の“第二の生活”は息づいている。
戸山キャンパス裏にある「三品食堂」では、唐揚げ、とんかつ、ハンバーグなど、食欲を正面から受け止めるメニューが揃う。「誰とでも黙って入れる食堂」という声が多く、ゼミ仲間と何も話さずとも落ち着いて食事ができるという空気感が、学生たちを引き寄せる。
また、「わせ弁」は早稲田の弁当文化を体現する存在だ。数百円で買える温かい弁当と、気さくなおばちゃんの一言。それだけで、午後の授業を乗り切るモチベーションになるという。
サードプレイスではなく、セカンドリビングとしての飲食店
一部の店は、作業空間としての役割も担っている。
たとえば西早稲田キャンパス内のタリーズは、課題提出やES作成、卒論の執筆などに使われることが多い。「作業がはかどる」というより、「ここで作業できた自分に満足する」という学生もいる。飲み物の価格はやや高めだが、それも“居心地代”だと自然に納得している。
駅前の松屋や馬場口交差点のなか卯は、深夜や早朝、バイト帰りなど、時間を問わず学生を受け入れる存在だ。「何も考えずに入って、何も考えずに出られる」。その気楽さが、ハードな一日を終えた若者の心と体を支えている。
“味”より“体験”に通う店があるということ
これらの店に共通するのは、食事の質やコストパフォーマンスだけではない。
学生が何度も足を運ぶ理由は、むしろ「そこにいた記憶」の積み重ねにある。
初めてゼミ発表を終えた日、試験に失敗して落ち込んだ夜、内定をもらった帰り道。メニューは変わらなくても、自分の状況が変わっていくなかで、その店はいつも変わらずそこにある。
「大学生活のログインボーナス」「卒業式より最後のメーヤウの方が実感があった」
そんな声は、単なる感傷ではなく、“場所に宿る感情”への敬意だ。
店はSNSには映らなくても、心の中に残っている
飲食店という空間が、単なる食事の場ではなく、“人生の静かな記録”になることがある。
メニューの写真は撮らなかったかもしれない。ハッシュタグもつけなかったかもしれない。でも、あの店で食べたあの味は、確かにその日の気持ちを受け止めてくれていた。
早稲田生が語る「もう家みたいな場所」とは、まさにそうした場のことだろう。
最後に――あなたにとっての“もう家”はどこですか?
飲食店というのは、味や価格だけで記憶されるわけではない。
そこにいた時間、交わした言葉、店員の笑顔。そうした断片が積み重なって、いつの間にか“自分だけの居場所”になっている。
それが、学生にとっての“第二のリビング”なのかもしれない。
あなたにもきっと、思い浮かぶ店があるはずだ。
名前を聞いただけで、匂いや音、あの日の空気まで蘇るような、そんな場所が。
大学生活の終わりにふと立ち寄ったその店で、「ありがとうございました」と言われた瞬間、初めて自分が卒業することを実感する人もいる。
そしてそれは、食べ物の記憶ではなく、「生きた時間」の記憶なのだ。