「27卒の就活、もう始まってるよ」
友達にそう言われたのが、去年の12月。まだクリスマスの予定すら決まってなかった時期。
そのときの私は、正直まだピンときてなかった。就活って“来年の春からでしょ?”って思ってたし、自己分析とかESとか、頭では分かってても、心は完全に年末モードだった。
でも年が明けて、企業のイベントが始まって、自己PRを用意してくださいって言われたあたりで、ようやく「これはやばいかもしれない」と思った。
なぜなら、ガクチカが、ない。
ガクチカって、「学生時代に力を入れたこと」って意味だけど、
私が大学時代に頑張ったことといえば、近所のカフェでのバイトくらい。
体育会にも入ってないし、留学もしてない。ゼミもまだ始まってないし、学生団体とかボランティアもやってない。SNSも発信してないし、資格も特にない。
大学1年からずっと続けてるカフェバイトが、唯一“続けてきたこと”だった。
でも、じゃあそれをそのまま書けるかって言われたら、書けない。
だって、何をどうしても、ただのバイトなんだもん。
それでもESには書かなきゃいけないから、私は“盛る”ことにした。
ちゃんと正直な範囲で、でも多少は見栄を張って。
例えば、「ホール業務を通じてコミュニケーション力を鍛えました」って書いたけど、実際はただの「お水とコーヒーを持っていってた人」だった。
「接客のクレーム対応で責任を持って行動しました」と書いたエピソードも、ほんとは「ドリンク間違えたのを、店長が謝ってくれた」のを隣で見てただけ。
でも、“隣で見てた”っていうのも学びのひとつ…って思いたい。
そうやって盛りに盛った結果、ESはそれっぽくなった。
最初は不安だったけど、就活用語をうまく混ぜれば、なんとなくそれっぽくなることが分かった。
「課題に対して主体的にアプローチし、チームで協働しながら解決に取り組んだ経験です」
って言えば、ただのバイトのシフト調整が、“プロジェクト感”を帯びる。
言葉ってすごい。でも、ちょっと怖い。
企業の面接で、その話を聞かれたときもある。
「具体的にどうチームで協力したんですか?」って。
そのとき私は、「お客様が重なって混雑した際、キッチンとの連携をとって…」みたいな話をした。
なんか、スラスラ話せた。
でも、終わったあとに「あれ、私、今すごい“就活生”だったな」って、鏡を見て思った。
不思議な感覚だった。
自分が経験したことを、知らない人に伝わるように、ちょっとだけ加工して話す。
それって、“嘘”ではない。でも、“そのまま”でもない。
同じようにバイトしてた友達は、「私、なにも書けないよ〜」って言いながら、
「自分がやってたことって、当たり前すぎて書けないだけなんじゃない?」って私に言った。
そのときちょっと救われた。
たしかに、私たちが“当たり前”だと思ってることも、見方を変えれば、誰かにとってはちゃんと価値があるのかもしれない。
それでもやっぱり、自信はない。
就活が進んでいくほどに、面接に進んだ子、インターン受かった子、スカウトが来てる子…
そういう投稿が、XにもLINEにも、どんどん流れてくる。
でも私はまだ、盛ったガクチカと、うまく笑える受け答えしか武器がない。
本当にこれでいいのかな、って思う。
それでも、就活をやめようとは思わなかった。
なにかを成し遂げたわけじゃないけど、毎日バイトに行って、人と話して、ミスして、落ち込んで、また働いて。
地味だけど、そこにいたのは、確かに“大学生の私”だった。
だから私は、盛るのをやめない。
堂々と盛る。自分の言葉で、ちゃんと意味を持たせて。
だってそれは、“ないもの”を作ってるんじゃなくて、
“あったこと”を、ちゃんと“伝わる形にする”ことだと思うから。
来週、また面接がある。
カフェの話を聞かれるかもしれない。
盛ったESを見ながら、「実際どうだったんですか?」って聞かれるかもしれない。
そのときは、こう言おうと思ってる。
「はい、これは盛ってます。でも、私なりに、ちゃんと考えて書きました」
ちょっと笑ってもらえたら、それでいい。
盛ってるけど、まっすぐにやってるから。就活、始まっちゃった。ガクチカがカフェバイトしかない私は、今日も盛る。