まあ、タイトル通りのことが起きたわけで。
軽音サークルに入り、授業をサボりまくり、留年し、内定も取り消されました。
どうも、早稲田の7年生(※うそです。ほんとは6年生)です。
学籍番号の数字が新歓の子と並ぶと、ちょっとギャグになる。
でもこれ、そんなに珍しくない。
少なくとも私の周りには、似たような人がまあまあいた。
ただ、みんなうまく笑い話にするのが上手くて、私だけちょっとタイミングを見誤ったって話。
1年の春、最初の授業に遅刻して、そのまま何も考えずに早稲田の某軽音サークルに入った。
新歓ライブが楽しくて、先輩がかっこよくて、スタジオ練が楽しすぎて、「あ、これで大学生活終わるな」って1ヶ月で分かった。
履修登録は2日目に気づいて、3日目にやった。
1限は切った。2限も切った。
気づけば、1年の単位が6しか取れてなくて、親に「書類ミス?」って聞かれた。
ううん、違うんだ。これは意志だよ。
2年の夏には、バンドが3つ掛け持ちになってた。
バンドって増えるんだよ。なんとなく音合わせたら、気づけば“ユニット”って呼ばれてて、そこにサークルのライブと学祭の出演が重なる。
学祭ライブ前の10月、4日連続でスタジオ。帰り道に「そろそろ大学行かないと留年する」って話題が出たけど、誰も笑わなかった。
私も笑わなかったけど、「まあ、それでもいいか」って思ってた。
ライブのあとに朝まで打ち上げして、始発で帰って、そのまま2限に突入して爆睡した日が、大学生活のピークだったかもしれない。
で、案の定、4年の春に“留年決定通知”が届く。
メールじゃなくて紙だったのがまた生々しくて、封筒を開ける前にだいたい分かってた。
親には、電話で伝えた。
「ちょっと延長戦になりそう」って。
母がため息をついて、父は黙ってた。
そのあと、バイトを増やした。掛け持ち3つ。
昼はカフェ、夜はライブハウス、月に数回、深夜の清掃。
バンドは続けた。
曲を作って、スタジオ入って、遠征して、CD焼いて売って、赤字だった。
でも、1回だけ「またライブ来ます」ってDMが届いて、ちょっと泣いた。
就活も、一応やった。
エントリーした会社は、そんなに多くなかった。
「何がしたいのか分からない」って言ったら、「それを考えるのが就活だよ」って言われたけど、考えても分からなかった。
それでも、音楽系の会社で内定が出たときは、普通に嬉しかった。
スーツで面接に行って、「バンド活動を通して人と関わる楽しさを学びました」って、めちゃくちゃ普通のことを言った。
たぶん、ちゃんとした文章を喋ったの、2年ぶりくらいだったと思う。
で、年が明けた頃、会社から連絡がきた。
「卒業要件を満たしていないとのことで、内定を取り消しとさせていただきます」
あー、やっぱり、そっち見るよねって感じだった。
ギリギリ単位いけると思ってたけど、ゼミの出席が足りてなかった。
出席…ああ、はい。そりゃそうか。
あの日の夕方、スタジオでドラムの音が遠く聞こえて、目の前の缶チューハイだけがちゃんと冷たかった。
でも、不思議とそんなに落ち込まなかった。
あーあ、って思ったし、そっか、って思ったし、でもそれ以上でもなかった。
人生って、“やらかしすぎると急にフラットになる瞬間”がある。
その感じを、わりと早めに味わった気がする。
今は、バンド1つに絞ってる。就活もまたやり直してる。
たまに大学に行って、たまに曲作って、たまに寝坊して、たまにレポートを締切でぶっ飛ばす。
7年かけて卒業しても、たぶん私は「成し遂げた!」とは言わないと思う。
でも、「まあ、それも人生だし」って言えるくらいには、全部を消化したつもりでいる。
軽音で出会った人たち、夜明け前のファミレス、雨の中の機材運び、CDが売れなかった日、バンドで音が合った一瞬。
それが全部、私の大学生活だった。
何か大事なものを失った気もするし、何かを得た気もしてる。
バカみたいだけど、わりとちゃんと生きてた気はする。
ってことで、今日もまた、授業をサボってスタジオ行きます。
いい感じのリフ、思いついてて。