早稲田のキャンパスに「学館」っていう場所がある。
正式名称は学生会館。通称、学館。
文字にすると地味だけど、あの建物の空気はちょっと独特だ。
中に入ると、目がちかちかするくらい活気がある。
部室の前にはキャリーケースやポスターや謎の段ボールが積まれてて、
スーツの先輩が電話してたり、髪色が自由すぎる人が楽器担いでたり、喫煙所でたむろってる人がいたり。
廊下ですれ違うときの「お疲れっす〜!」って声がとにかく大きい。
私は、そういうテンションが少しだけ苦手だった。
所属してるのは、出版系のサークル。
紙を作って、本を作って、文章を読むのが好きな人たちが集まってる。
鍵を持ってる人がいないと入れなくて、用事がある日は誰かに連絡して、待ち合わせて、一緒に入る。
でも、1年の春の頃は、それができなかった。

引用元:早稲田大学公式ホームページhttps://www.waseda.jp/inst/weekly/feature/2017/04/17/24349/
理由はシンプルで学館に入るのが怖かったから。
歩いてる人たちはみんな、“自分の場所がある顔”をしている。
「ここにいる理由があります」っていう雰囲気。
それが、当時の自分にはまぶしすぎた。
私は、“お邪魔してる感”がすごかった。
道を間違えたみたいに感じた。
あの廊下に立ってると、「ごめん、すぐ出ます」って言いたくなる。
本当は、出版サークルのミーティングが学館である日、何度か行こうとしてやめた。
建物の前まで行って、ドアの前で立ち止まって、そのままUターンして帰った。
コンビニでおにぎりを買って、ラウンジで1人で食べて、何もなかった顔をした。
今思えば、それもちゃんと“大学生活”だったと思うけど、
あの頃は、自分が何者でもないのがバレるのが怖かった。
夏頃になって、ようやく仲良くなった同じサークルの子が、「一緒に行こ」と言ってくれた。
それで、初めてちゃんと学館の中に入った。
目的の部室は、想像より狭くて、なんだかすごく静かだった。
壁には去年の冊子が並んでて、段ボールの上に誰かのカバンが乗ってて、
先輩たちは柔らかい声で話してた。
そこに入ったとき、「あ、ここは大丈夫かも」と思った。
別に笑いが絶えないわけじゃないけど誰かを置いていく空気が無かった。
それが嬉しくて、それ以来、少しずつ“自分の居場所”になっていった。
いまも、学館の入口の空気はちょっと苦手だ。
廊下で元気な掛け声が聞こえると、思わず身をよけてしまうし、
楽器の音が鳴ってると、まだちょっと緊張する。
でも、部室の中では、私は普通に座ってる。
新歓のチラシのデザインを考えたり、入稿のスケジュールを整理したり、
先輩と「このエッセイ、すごく良かったですね」って話したりする。
何か特別なことができるわけじゃないけど、
“この空間にいていい理由”が、少しずつ自分の中にできてきた。
大学って、キラキラしてる場所が正解みたいな空気がある。
サークルは元気じゃなきゃいけないし、声が大きい方がかっこよくて、
「やりたいことがあってすごい!」って、いつも誰かが言ってる。
でも、静かに続けてることも、ひとりで頑張ってることも、
ちゃんと“大学にいる理由”になると思う。
そう信じられるようになったのは、たぶんあの部室のおかげだ。
今日も、学館に行く。
廊下は少しだけ怖いけど、部室のドアの先にある静けさは、ちゃんと自分のものだと思えるから。