早稲田って、もっと地味な人ばっかだと思ってたんだけど。
入学式の日、正門前で配ってた新歓チラシ受け取って、ちょっと顔上げたら、
「え?え?かわいくない?」って、声出そうになった。
しかも一人じゃない、何人も。視界の半分、可愛かった。どういうこと?
想像してた大学生活はもっとこう、
寝癖のまま自転車で通って、缶コーヒー飲みながら哲学の講義を受けて、
「女の子…?いや、別に…」みたいな孤高の自分を演出する予定だったんだけど、
その前に目の前の可愛い子たちに脳の処理速度が追いつかなくなった。
最初の履修相談、体育館の席が斜め前の子でずっと集中できなかった。
タンクトップ着てた。肩が綺麗すぎて“人間てすごいな…”と思った。
あと、たぶんゼミで一緒になった子がノート貸してくれたんだけど、字が綺麗だった。
それだけでちょっと恋した。いや、今思えば単に“ありがたい人”ってだけだったんだけど、そのときは本気で「運命…?」ってなった。
で、思うのが可愛い子って思ってたより”いる”んじゃなくて”見える”ようになったんだと思う。
高校までは、クラスに1人か2人だった。
でも大学は、校舎も人も広すぎて、可愛い子が“存在してる確率”が物理的に上がってる。
それと同時に、自分が“可愛い”ってことにめっちゃ敏感になってる。
だって、早稲田生なのに、スタバ持って登校してて、髪さらさらで、香水もちゃんとしてて、空きコマに一人で本読んでる子いたらそれ、もう映画
ただ、ひとつだけ思う。
可愛い子を見つけて「好きになりそう」ってなるたびに、
脳内にすごい速さで自意識が流れ込んでくる。
「今の俺の顔、どう?」
「イヤホンの曲、バレたらキモいかな」
「歩き方、変じゃないかな」
っていうか、もう可愛い子の隣ってだけで自分がモブキャラっぽくなる現象、何?、
俺が立ってるだけで、その子が“メイン”になるのおかしくない?
あと、グループワークで可愛い子が「じゃあ、私が書記やるよ〜」って言った瞬間に
「書記って最高じゃん」ってなる男子、俺以外にもいたよね?
で、もっと言うと、可愛いって”見た目”だけじゃなくて、”雰囲気”とか空気感なんだなって気づき始めてる。
なんか、マスク外したら笑顔が想像以上だったり、
飲み会でお酒強くないのに「飲みたがり」で周りを和ませる感じだったり、
Twitterにあげる写真がなんか絶妙に可愛くてセンスよかったり。
“顔”じゃなくて、“距離の詰め方”で可愛いって思うことが、増えた。
でも、自分の中でひとつルールを決めた。
可愛いと思っても話しかけない。
話しかけないことで理想を守る。
話しかけて、素っ気なかったら、2週間くらい引きずるから。
こっちは、勝手に可愛いと思って、勝手に理想膨らませて、勝手に遠くから応援してる。
これが、俺の“大学生活の恋愛安全保障政策”。
ただ、正直に言うと。
そろそろ、誰かに好きって言ってみたい。
可愛いって思うのはいっぱいあったけど、
その先に踏み出せるかどうかは、たぶん“自分が誰なのか”が関係してる。
「君、面白いね」って言われたい。
「一緒にいると落ち着く」って思われたい。
“顔”じゃなくて、“空気”で好きになってもらえたら嬉しい。
そう思えるくらいには、可愛い子たちに人生を刺激されてきた。
でも今日はまだ、遠くから見てるだけでいい。
駅前のマックの窓際、いつも見かける子が、また勉強をしている。
それだけで、いい一日になった気がする。