1回目のときは、まだ笑えた。
「まあ、初挑戦だし」「初学者には厳しいって言うし」
友達にも「来年本番っしょ!」って言われて、「そだよね〜!」って返せるくらいの余裕はあった。
Twitterで「短答落ちた会」みたいなタグ見つけて落ちた人同士でちょっと安心する文化を味わいながら。
その夜はコンビニでハーゲンダッツ買って、ゲームして寝た。
来年受かればいいや、って思ってた。
本気出すのは来年、そう思ってた。
で、2回目落ちた。
笑えなかった。
というか、なにかの音が消えたみたいな感じだった。
メールを開いて、結果を見て、しばらくスマホを顔に落としたまま天井を見てた。
母にだけLINEした。
「まただめだった」って送ったら、数分後に「頑張ったね」って返ってきた。
頑張ったけど、報われなかった。
この言葉、想像以上にダメージある。
“自分ではなく、結果”がすべての試験に、二度も落ちた。
勉強時間は、それなりに積み上げた。
大学の授業も最小限にして、サークルもやめて、バイトは週1に減らして。
朝は7時に起きて、図書館かカフェか予備校にこもって、暗記と問題集。
理解じゃなくて定着。計算じゃなくてスピード。
単純に“人より長く机に向かってる人間”になろうとした。
でも努力って結果に換算されないことがある。
「ここ出るだろうな」って思って重点的にやったところは出なかったし、
「ここまでは聞かれないよな」って飛ばしたところが出た。
そんなもんだってわかってるけど、やっぱり悔しかった。
特に2回目の試験のとき試験中に「あ、これもダメかも」って思った瞬間があった。
計算問題で手が止まって、ページめくったら分からない理論問題が並んでて、
そのとき、脳のどっかがスッと引いていく感覚。
問題は目の前にあるのに、心だけが少しずつ後ろに下がっていく。
たぶん、もう“戦ってなかった”と思う。
試験が終わったあと、会場の階段を降りていく人たちの背中が、やけにまっすぐだった。
「いけたかも」って顔をしてる人が何人もいたし、
「来年か…」ってつぶやいてる人もいた。
俺は何も言わずに自販機でお茶を買って、ちょっと遠回りして家に帰った。
一応、また受ける予定ではある。
でも、もう「絶対受かる」みたいな熱はない。
「どうせ無理でしょ」って気持ちと、「まだやれるかも」って気持ちが、交互にやってくる。
それでも、勉強はしてる。
参考書を開くと、今まで見えなかった構造がちょっとだけわかるようになってて、
「ああ、2年間、無駄じゃなかったな」と思える瞬間がある。
その一瞬のために、また今日も机に向かってる。
ただの意地かもしれないけど、もうそれでもいい。
公認会計士は、「努力が報われる試験」って言われることがある。
でもそれは、“報われるまで努力し続けた人”の話であって、
途中で落ちた人の努力は、誰も拾ってくれない。
だから、自分で拾うしかない。
落ちた2回分の悔しさも、時間も、静かに自分の中で回収して、また前に進むしかない。
3回目、もし受かったら、
「やっぱ努力って報われるんだな」って言ってみたい。
今の俺が一番、信用してない言葉だけど。