東京で生まれ、5歳でアメリカ・ミシシッピ州へ。10歳で日本に戻り、二つの文化の中で育ってきたジョナサン喜紀さん。現在は早稲田大学国際教養学部に通いながら、YouTube、Instagram、TikTokで早稲田生活やVLOGを発信し、ダンサーとしても活動している。
彼が目指すのは、受験生だけでも、日本の学生だけでもない。「誰にでも見られるコンテンツ」。文化、言語、年齢、国籍を越えて人とつながる発信の原点には、これまで彼が歩んできた“世界の行き来”があった。

東京生まれ、ミシシッピ育ち。二つの文化が原点になった
ジョナサン喜紀さんは、早稲田大学国際教養学部の2年生。YouTube、Instagram、TikTokで早稲田生活やVLOGを発信しながら、ダンサーとしても活動している。資料では、東京ドームでRIIZEのバックダンサーを務めた経歴も。
彼の歩みをたどると、最初に見えてくるのは「二つの文化の中で育った」という背景だ。
母は日本人、父はアメリカ人。東京で生まれたジョナサンさんは、5歳でアメリカ・ミシシッピ州へ渡り、現地の小学校に通った。その後、10歳で日本へ帰国。日本とアメリカ、二つの国の空気を吸いながら育ってきた。
ひとつの場所にだけ根を張るのではなく、違う文化や価値観の間を行き来する。その経験は、今の彼の発信や学びの原点になっている。

国際教育との出会いが、「世界」に目を向けさせた
帰国後、ジョナサンさんは国際色豊かな中学校へ進学した。そこでは、二つの国のディプロマを取得できるプログラムで学んだという。
異なる文化や価値観に触れることは、彼にとって特別なイベントではなかった。日常の中に、自然と「世界」があった。
自分とは違う背景を持つ人がいる。考え方も、話す言葉も、見ている景色も違う。けれど、その違いは壁ではなく、むしろ面白さになる。そうした感覚が、少しずつ彼の中に育っていったのだと思う。
ジョナサンさんの発信が、特定の国や属性に閉じていないのは、おそらくこの経験と無関係ではない。彼にとって世界は、遠くにあるものではなく、最初から身近なものだった。
勉強もダンスも、どちらも諦めなかった高校時代
ダンスを始めたのは中学時代。コロナ禍をきっかけに、より本格的に取り組むようになった。
高校時代の彼は、通信制のアメリカの高校と、日本のダンス高等専修学校のダブルスクールという道を選んでいる。勉強を続けながら、ダンスにも本気で向き合う生活だった。
どちらか一方を選ぶのではなく、どちらも諦めない。
これは簡単に聞こえるが、実際には時間も体力も必要になる。学業と表現活動を両立するには、自分で生活を組み立てる力もいる。ジョナサンさんはその環境の中で、学ぶことと表現することを同時に磨いていった。
VLOGの始まりは、「面白いじゃん!!」という反応だった
もともと動画編集が好きだったジョナサンさんは、家族旅行や修学旅行の映像を撮り、自分用にVLOGを作っていた。
高校生になると、YouTubeへの投稿を始める。すると、海外から反応が届いた。
「面白いじゃん!!」
この言葉は、彼の発信が本格的に動き出した瞬間をよく表している。自分が何気なく作ったものが、海の向こうの誰かに届く。しかも、面白がってもらえる。
SNSの魅力は、まさにそこにある。場所を越え、言語を越え、自分の日常が誰かの日常とつながっていく。ジョナサンさんは、その感覚を早い段階で実感したのだろう。
「誰にでも見られるコンテンツ」を目指して
ジョナサンさんが目指しているのは、「誰でも楽しめるコンテンツ」だ。
受験生だけではない。年齢も国籍も関係なく、誰かの日常に寄り添う動画。早稲田生活やVLOGを発信しながらも、その届け先を狭く決めすぎない。
SNSだからこそ、世界中の人とつながれる。彼はそこに、発信の面白さを見ている。
大学生の発信というと、ときに「受験生向け」「同じ大学の学生向け」に閉じやすい。もちろんそれも価値のある発信だ。ただ、ジョナサンさんの場合は少し違う。彼の視線は、もっと広い場所に向いている。
日本の大学生活を、海外の人にも届ける。早稲田の日常を、まだ早稲田を知らない人にも見せる。自分の経験を通して、異なる世界同士をつなぐ。
それが、彼の発信の魅力になっている。
早稲田で広がった世界。SILSを選んだ理由
ジョナサンさんが早稲田大学国際教養学部、いわゆるSILSを選んだ理由は、分野横断的な学びにあった。
メディア、文化、アイデンティティ。自分が関心を持つテーマを、ひとつの枠に閉じ込めず、自由に学べる環境。さらに留学が必修であることも、彼にとって大きかった。
SILSは彼にとって「理想的な環境」だった。
実際、彼はSNSやダンスを続けながら、学業でも成果を残している。SILSに入ってからDean’s Listに選出された。これは学部上位10%に与えられる表彰だという。
発信もする。踊る。学ぶ。そのすべてを同時に進めながら、結果も出す。そこには、ただ器用というだけでは片づけられない継続力がある。
ちなみに、そんな彼のおすすめの勉強スポットは、3号館にある窓側のラウンジ。場所を変えながら勉強する彼にとって、ここが一番のお気に入りだという。

次の舞台はニューヨークへ
ジョナサンさんの次の舞台は、ニューヨークだ。
留学先として選んだのはニューヨーク大学、NYU。さまざまな文化が混ざり合う街であり、エンターテインメントの中心地でもある。彼が関心を持つ「メディアと文化」を学ぶには、理想的な場所だった。
東京で生まれ、ミシシッピで育ち、日本へ戻り、早稲田で学び、次はニューヨークへ向かう。
こうして見ると、彼の人生は常に移動と出会いの連続だ。場所が変わるたびに、新しい文化に触れ、新しい人と出会い、自分の表現を広げてきた。
そしてその経験は、また次の発信につながっていくはずだ。
挑戦しないと、何も始まらない
「やりたいことがあるなら、若いうちに挑戦してほしい。」
SNSも最初は不安だったという。それでも発信を続けたことで、仕事も、人との出会いも生まれた。
挑戦した先にしか、見えない景色がある。ジョナサンさんはそう信じている。
この言葉が軽く聞こえないのは、彼自身が実際に動いてきた人だからだ。動画を投稿し、ダンスを続け、学業にも向き合い、海外へも進んでいく。ひとつの肩書きに収まらず、自分の興味をその都度形にしてきた。
ジョナサンさんの物語は、「世界をつなぐ発信者になる」という大きな言葉だけでは語りきれない。
その根っこにあるのは、自分の見てきた世界を、自分の言葉と映像で届けたいという感覚なのだと思う。異なる文化の間で育ち、ダンスで身体を使って表現し、SNSで日常を発信する。彼はこれからも、場所を変えながら、自分の物語を更新していく。
