「結果はボーナス。今は走ることそのものが楽しい。」——24歳の早稲田大学国際教養学部(SILS)2年、ティモシー・リオ(Timothy Liau)は、そう静かに言う。シンガポール出身。A-Level全大学不合格、兵役、起業、フルタイム勤務と1学期での大学中退——その全部を経て、彼は今、東京で2028年のオリンピックを見据えながら走っている。

(陸上、兵役、エンジニア、学生、様々な経験をして早稲田に現在通っているティモシーさん)
「人生はそれぞれのタイムラインがある」
ティモシー・リオさんの現在地を数字で並べると、視界の広さがわかる。
5000mで7年ぶりの自己ベスト更新。立川ハーフマラソン1時間13分49秒、丸亀ハーフマラソン1時間12分06秒。シンガポール国内選手権(ハーフ)で4位。福岡で開催されたアジアクロスカントリー選手権では代表としてデビューを果たした。週に130〜160km、週12回のトレーニング。朝7時前後に1本目を走り、授業のあと午後にもう1本。最長2時間のロングランも織り交ぜる。
直近の春は、1500m・3km・5kmといった種目でスピードを磨く時期だ。コペンハーゲンで開催される世界ロードランニング選手権の出場権を取りに行く。そしてこの冬、初めてのマラソンに挑む。最終的な目印は、2028年のオリンピック・マラソンだ。
ただ、結果の数字以上に、彼が大事にしていることがある。「人生はそれぞれのタイムラインがある」——同級生のほとんどが18歳という早稲田で、24歳の彼は年齢をいじられることがあっても気にしない。各自にそれぞれのペースがあると、本気で思っている。
スポーツ一家、妹、そして最下位
ティモシーさんが生まれたのは、両親がアイアンマンレースに出場するようなアクティブな家庭だった。スポーツが常に身近にあり、小学校時代だけでチェス、ピアノ、水泳、テニス、フロアボール(6年間)と、多彩な経験を重ねている。
陸上を始めたのは2012年、13歳のとき。先にトライアスロンを始めた妹に負けたくない、という思いがきっかけだった。
最初の志望はスプリンター。しかし、初めての全国大会(100m・200m)では最下位。「自分はスプリンターではない」と、あっさり方向転換する。
転機は、シンガポール独特のフィットネステストだった。2.4kmの成績を見たコーチが、より長い距離を走らせる。結果、3kmで全国11位。15歳でフロアボールを辞めて陸上に専念し、高校時代には5000mで全国2位まで上り詰めた。
全大学不合格——「努力しなかっただけ」
ここまでなら「才能の発見」物語だ。だが、ティモシーさんの面白さは、ここから先にある。
高校(17〜18歳)の頃、彼は陸上を続けながらも勉強のモチベーションを失っていた。シンガポールで進学に使う試験で結果が出ず、出願した大学すべてに不合格になる。
多くの人は環境や運のせいにする場面で、彼の自己認識は違った。「できなかったのではなく、努力しなかっただけ」——この一言が、その後の数年間を決めていく。
落ちた直後から、独学が始まった。データ分析、プログラミング。次の挑戦のための武器を、自分の手で揃え始める。
兵役、怪我、競技からの引退
18〜19歳の2年間は、シンガポール男性の義務である兵役にあてられた。当初は陸軍に配属されたが、基礎訓練を経て警察の諜報情報部門に異動する。
この2年で、二つの大きなことが起きた。
ひとつは、競技人生の中断。背中を負傷して走れなくなり、彼はいったん陸上を引退する。
もうひとつは、別種の学びだった。様々な背景、教育、経済水準の人々と並んで働く環境で、時間管理と謙虚さを体に染み込ませる。スポーツのエリート街道では出会えなかった人たちと過ごした2年間が、彼の社会人としての土台になっていった。
たちと過ごした2年間が、彼の社会人としての土台になっていった。
20歳、もう一度「高校」に戻る
兵役を終えた20歳のティモシーさんは、もう一度「高校」に戻ることを選ぶ。
大学受験のやり直しではない。シンガポールのポリテクニック(2020〜2023年/日本の高等専門学校に近い教育機関)に進み、コンピューターエンジニアリングを専攻するという決断だった。17歳の同級生たちに混ざって、彼は20歳で学び始める。
ここから、活動量が一気に跳ね上がる。
シンガポール初の学生向けメンタルヘルス・ハッカソンを立ち上げ。WHO(世界保健機関)と学生のメンタルヘルス分野で連携。コンテンツモデレーションのスタートアップを創業し、CEO兼テクニカルファウンダーとして自らアプリ開発まで担う。そして22歳、全国レベルで活躍する友人の姿を見て、ふたたび走り始めた。復帰直後の5kmは18分18秒。
「努力しなかっただけ」と認めた18歳の自分への、4年がかりの返信のような時期だった。
中退、シリコンバレー、残ったのは喪失感
2023年秋、ポリテクニック卒業後にシンガポールの工科大学へ進学。だが、わずか1学期で中退する。
すでにスタートアップでフルタイムのソフトウェアエンジニアとして働きながら、競技も再開していた。「大学に行く意味はあるのか?」——当時の彼は、その問いに明確な答えを返せなかった。
周囲の反対を押し切って中退。残った目標は、シリコンバレーで成功することだけ。深夜3時まで働く日々。自分のスキルでフルタイムの職を得たという達成感はあった。一方で、頼れる学位がないというプレッシャーがいつもどこかにあった。
結果として残ったのは、ストレスと、強い喪失感だった。
大迫傑、早稲田、自分のペースを取り戻すまで
2024年、家族の勧めもあり、ティモシーさんはもう一度大学へ戻ることを決める。出願先は、早稲田大学SILS。
早稲田を選んだ理由のひとつは、ずっと前からあった憧れだった。幼い頃から日本の長距離走を見ていて、大迫傑選手が早稲田のユニフォームを着て走る姿が頭に残っていた。
ただ、最初の早稲田は「学位を取るための場所」でしかなかった。学位だけ取って、陸上とキャリアに集中する——そう割り切って入った。
ところが、通い始めると景色が変わっていく。多様なバックグラウンドの学生たちとの出会い。視野の広がる授業。シリコンバレー的な狂奔から距離を置き、友人と笑いながら目標を追える日常。「結果が全てを決めるわけではない」——大学に対する見方は、ここで明確に書き換わった。
専攻を一本に絞らず、幅広い基礎に触れられるSILSの環境は、いまの彼の学び方とよく噛み合っている。プログラミングを学んだ人間が、将来もプログラマーであり続ける必要はない——「自ら学ぼうとする意欲」さえあれば、専攻はあとから組み立て直せる、というのが彼の考えだ。
「目標」と「心の平穏」のバランス
早稲田の長距離チームには、1学期間、練習に参加した。最終的にチーム入りは逃したが、トップレベルの選手たちのストイックさを至近距離で見られたことが、「努力」や「現状」に対する彼の考え方を変えた。その経験のあとに、7年ぶりの自己ベスト更新が来ている。
スタートアップ時代の自分は、結果だけを掴みに行っていた。いまの彼は、それを「目標」と「心の平穏」のバランス、と言い換える。
走ること自体の喜び。多様な仲間との時間。年齢のからかいも、空気を読む文化での小さな行き違いも、「そういうもの」と受け流せる余白。スピードを上げながら、息も整えていく——いまの走り方は、そのまま生き方の比喩になっている。

(国際教養学部2年のティモシーさん)
始めるだけで、半分進んでいる
将来の目標はまだ模索中だという。スポーツ、テクノロジー、起業——いくつもの引き出しを持つ彼の進路は、いまの段階で一本に絞られてはいない。それでいい、と本人は考えている。
何かを上手くやりたいなら、まず自分の能力を信じること。時間と労力をかけて続ければ、道は少しずつ開け、チャンスは雪だるま式に増えていく。そして彼が繰り返し口にする最重要のアドバイスが、もうひとつある——始めるだけで、もう半分進んでいる。
13歳の最下位レース。A-Level全大学不合格。兵役中の怪我。大学による中退。すべては、「とにかく始めた」結果として起きたことだ。そしてそのたびに、彼は次のスタートラインに立ち直してきた。
5年遅れで早稲田にいる24歳のランナーは、今日も朝7時前に走り出す。2028年のオリンピックという目印を遠くに置きながら、いまは走ることそのものを楽しみながら。
