「何が正解かを考えすぎると、キリがない」
そう語るのは、早稲田大学社会科学部4年のHikkyさんこと、引地祥太さん。BaySherwoodの代表取締役を務め、北海道の除雪問題に向き合うマッチングサービス「SnowBell」を立ち上げるなど、大学在学中から事業を形にしてきた学生起業家だ。
YouTube総再生回数は約960万回。テレビで取り上げられる事業も生み出してきた一方で、その歩みは決して順風満帆ではなかった。推薦入試の失敗、3カ月での早稲田合格、大学1年での起業、奨学金停止、休学危機。
それでもHikkyさんは、自分で選んだ道から降りなかった。彼を前に進ませてきたものは何だったのか。

(ヒッチハイクに起業、youtubeなど様々なことに挑戦し続けているHikkyさん)
「選んだ道を、正解に変える」という生き方
Hikkyさんの言葉には、迷いを断ち切る力がある。
「どの道が正解かをずっと悩んでいても、結局答えは出ないんですよね。だったら、自分が選んだ道を、自分の力で“正解だった”と思えるものに変えていくしかないと思ったんです」
早稲田大学社会科学部4年。BaySherwood代表取締役。YouTube総再生回数は約960万回。北海道の除雪問題を解決するマッチングサービス「SnowBell」を立ち上げ、テレビでも大きな反響を呼んだ。
肩書きだけを並べれば、順調に成果を積み重ねてきた学生起業家に見えるかもしれない。けれど、Hikkyさんの歩みをたどると、むしろその逆だとわかる。
予定していた進路は崩れた。学業と事業の両立も一度は限界を迎えた。奨学金が止まり、休学の危機にも追い込まれた。
それでも彼は、そのたびに自分の足で立て直してきた。正解の道を選んできたのではない。選んだ道を、後から正解に変えてきた人なのだ。
原点にあった、父の背中
Hikkyさんの価値観の原点には、幼少期から父親と過ごしてきた時間がある。
0歳の頃から、父親にキャンプへ連れ出されていた。自然の中で過ごす時間の中で、「働くこと」や「生き方」に触れる機会があった。
父の姿からHikkyさんが受け取ったのは、働くことをただの義務として捉えない感覚だった。自分のやりたいことを実現するために働く。その背中は、幼いHikkyさんに強い影響を与えた。
働くことは、誰かに言われてこなすものではない。自分の人生を前に進めるために、自分で選び取るものでもある。そうした価値観が、のちの進路選択や起業にもつながっていく。
働くことは、誰かのためになること。同時に、自分の人生を前に進めることでもある。仕事や挑戦を、ただの義務ではなく、自分の意志で選び取るものとして捉える感覚は、この頃から育まれていった。
一方で、早い時期に挫折も経験している。
幼少期の夢は、戦闘機パイロットになることだった。しかし、その夢は身体的な基準によって絶たれてしまう。最初の大きな挫折だった。
そのとき、Hikkyさんを支えたのが母親の言葉だ。
「好きなようにやれ。あんたの人生なんだから」
誰かに決められた道を歩くのではなく、自分の人生は自分で選ぶ。その感覚は、のちの進路選択や起業にもつながっていく。

高2のヒッチハイクが、世界の見え方を変えた
大きな転機は、高校2年の夏に訪れた。
Hikkyさんは夏期講習に行かず、東京を目指してヒッチハイクの旅に出る。
普通に考えれば、効率的な進路選択とは言えないかもしれない。けれど、その旅で彼は、机の上では得られない感覚を手にした。
「見知らぬ高校生に対して、日本の大人はすごく優しかった。世の中って、思っていたよりずっと面白いし、温かいんだなって思えたんです」
知らない人に声をかける。助けてもらう。移動する。偶然に身を任せながら、前に進む。
その経験は、Hikkyさんの進路観を大きく変えた。
世界は、自分から飛び込めば思っているよりも開けている。人との出会いによって、自分の進む方向は変わる。そう実感した翌日、彼は偶然、早稲田大学のオープンキャンパスを訪れる。
そこで見た空気に、心を動かされた。
「この熱量のある環境に自分を置いたら、どんな化学反応が起きるんだろうってワクワクしたんです」
そのワクワクが、早稲田を目指す理由になった。
指定校も自己推薦も不合格。それでも3カ月で早稲田へ
早稲田への道は、決して順調ではなかった。
期待していた指定校推薦枠から漏れ、続く自己推薦も不合格。描いていた進学プランは、丸ごと崩れていった。
一般受験を本格的に始めたのは、12月に入ってから。周囲から見れば、無謀とも言える挑戦だった。
それでもHikkyさんは、そこから猛勉強を始める。
そして3カ月後、早稲田大学社会科学部に逆転合格を果たした。
この経験は、Hikkyさんの考え方を象徴している。うまくいく道を最初から選べたわけではない。むしろ、選ぼうとしていた道は何度も閉ざされた。
それでも、残された道に全力を注ぎ、結果を変えにいった。
「選んだ道を、正解に変える」という言葉は、きれいな理想論ではない。Hikkyさん自身が、進路を切り拓く中で体験してきた実感なのだ。
大学1年で起業。「早いほど、失うものは何もない」
早稲田に入学すると、Hikkyさんはすぐに起業へと動き出す。
「失うものが何もない大学1年なら、失敗してもいくらでも取り返せる。だったら今すぐ動くのが一番ノーリスクだと思ったんです」
この言葉には、Hikkyさんらしいリスクの捉え方が表れている。
多くの人は、失敗を避けるために準備を重ねる。Hikkyさんは、早く始めることこそがリスクを小さくすると考えた。若いうちなら、失敗しても取り返せる。だから、動かないことのほうがもったいない。
彼が手がけるサービスは、生活の中にある「リアルな課題」を起点にしている。
その代表例が、除雪マッチングサービス「SnowBell」だ。
雪国にとって、除雪や排雪は生活に直結する課題である。Hikkyさんはそこにテクノロジーと行動力で向き合った。単なる学生の思いつきで終わらせず、行政や民間企業を巻き込みながら、地域インフラを支えるサービスとして形にしていった。
課題を見つける。現場に近づく。関係者を巻き込む。そして、形にする。
Hikkyさんの強みは、アイデアの大きさだけではない。動きながら、周囲を巻き込み、現実の課題に接続していく実行力にある。
どん底で支えたのは、「過去の自分」だった
ただ、事業が拡大するにつれ、現実の厳しさも増していった。
事業運営と学業の両立が崩れ、授業への出席が困難になる。頼みの綱だった奨学金も停止され、休学の危機に追い込まれた。
そのとき、Hikkyさんはこう考えた。
「起業で背負ったリスクは、起業で返すしかないと思いました」
逃げるのではなく、起業で生まれた困難を、起業で乗り越える。その覚悟を支えたのは、過去の自分への感情だった。
「あの時頑張った自分を、無駄にしたくなかった」
死に物狂いで早稲田を目指していた自分。あれだけ必死に積み上げてきた時間。その過去を、ここでなかったことにはしたくなかった。
その後、Hikkyさんは一部事業の売却を成功させる。大学は2〜3年休学することになったものの、人生最大級の危機を自分の手で突破した。
このエピソードには、Hikkyさんの本質が詰まっている。
彼は、失敗しない人ではない。むしろ何度も苦境に立たされている。それでも、自分が選んだ道を途中で投げ出さず、別の形に変えながら前へ進む。
その粘り強さが、Hikkyさんの行動力をただの勢いで終わらせていない。

正解を待つのではなく、正解にしていく
進路に迷う高校生や、一歩を踏み出せずにいる大学生に向けて、Hikkyさんはこんな言葉を残している。
「何が正解か考えすぎると、キリがない」
だからこそ、選んだ道を“正解に変える側”に回ってほしい。
これは、起業を勧める言葉ではない。無謀な挑戦を美化する言葉でもない。
憧れがあるなら、まず近づいてみる。迷うなら、動いて確かめてみる。失敗したなら、そこから取り返す方法を探す。
Hikkyさんの歩みは、その繰り返しだった。
高校2年でヒッチハイクに出たこと。偶然訪れた早稲田に惹かれたこと。推薦入試でうまくいかなくても、3カ月で合格をつかみにいったこと。大学1年で起業し、雪国の課題に向き合ったこと。危機に追い込まれても、自分の手で突破口を探したこと。
最初から正解の道を歩いてきたわけではない。
それでも、Hikkyさんは言う。
選んだ道は、自分の力で正解に変えられる。
その言葉が強く響くのは、彼自身が何度も、そうやって道を切り拓いてきたからだ。
